バッド入る

 

人生を折れ線グラフにして、沈んでいた時期はどこだろうと考えた時に、皆様は何歳の頃が谷になっているでしょうか。

自分は14歳と19歳の頃が分かりやすく谷だったような気がする。0-10歳はずっと底だったため谷とかではないので省きます。

14歳の頃はわざと遅刻してみたり、鎌倉遠足をサボったり、何がそんなに嫌だったのか思い出せないけれど、なんとなく病んでいた記憶がある。単純にアホだったし思い返せば厨二病みたいなものだったから、ある意味純粋な人間ではあった。

19歳の頃はずっと死にたいと思っていた。小中高とずっと友達は少なかったし、クラスメイトと口を聞くこともほとんどなかった。それなりに生きづらい学生生活を送っていたけれど特に不登校になったりはしなかった。そういう面で自分は強い人間だった。だけど本当に生きていたくなかった。一度死にたいと思ってしまうと、これまでそんなこと思わずに過ごせていた自分を思い出せなくなって、元の状態に戻れなくなる。今まで夢中になっていた趣味も映画もドラマも本も音楽も、すべて興味がなくなった。いまだにその感覚を引きずっているのか、音楽を聴いたり映画を見たりするまでにとても時間がかかる。気合いを入れないと作品に触れられないのだ。わかりやすく何かに夢中になることはなくなった。だから「好きなものなんですか?」「趣味はなんですか?」といった質問にいつも答えられない。

しばらく鬱々とした日々を過ごしていたけれど、気づいた頃にはあまり死にたいと思わなくなっていた。学生でなくなったのも大きいかもしれない。学校って今思い返してみても変な場所だったと思う。年齢が同じというだけで学年ごとに一括りにされ、性別も性格も見た目も能力も全く違う人たちと毎日会うことになる。生まれたタイミングはほぼ一緒なのに、みんな自分よりキラキラしているなって比べている自分が嫌だった。そのせいか同い年の人と話すといまだに緊張してしまう。

今の自分はだいぶ人と話せるようになったなと、過去の自分と比べた時に思うけれど、昔から人と話すのが得意な人もいるわけで、そういう人たちと比べるとやはり、自分は何も変われていないのだと思い知らされる。根本的な部分が変わっていない。そんな人間が誰かと関わる意味ってあるのだろうかと、午前3時、思ってしまうわけです。

誰かと関わっていたい反面、誰かと関わるのがつらい自分もいて、そのギャップに日々悩まされる。一人部屋にこもり誰とも関わらなくていい安心安全なあの時間は全く苦痛ではない。しかし家にいても誰かしらからメッセージは送られてくる。なんて返そうと考えているあの時間がつらい。家にいてもこんな思いをしなければならないのかと、みんな面倒なのは一緒だよって、そういうことを言ってるんじゃない。今ここにいる私の話だ。その人のことは嫌いじゃない、むしろ好き、好きなんだけど文字を入力するのが億劫でそっとスマホの画面を閉じてしまう。だから私は返信が遅い。今日だってもう何もしたくなくて、何も考えたくなくて、14時に起きたのにそこからまた寝た。また寝て23時に起きた。現実逃避。部屋の掃除もままならない。イエスもノーも言ってくれない人間は最低です。

気を抜くとほら、こうやってまたバッド入ってる。