15歳

 

15歳の自分から手紙が届いた。

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中学校3年生の一月。

総合の授業か何かで書かされたものだ。

ところどころ痛々しい箇所はあるが、言葉の一つ一つに嘘がなくて純粋だと思った。

今の私なら未来の私に励ましの言葉なんて一切書かない、いや、書けないと思う。

最後の「くじけないで」という10年前の自分の言葉に、意外にも励まされた。

途端に心がグラグラして、勝手に涙がこぼれる。

この手紙を読む10分前に、死にたいなぁと呟いていたところであった。

15歳の私に申し訳ない。

今の私は多分、胸を張って生きていない。

人見知りは少し治ったし、曲を作って歌ったりしているけれど、それでも死にたい夜がある。

アンジェラ・アキの手紙〜拝啓 十五の君へ〜を聴いて、あれ?こんなに良い歌詞だったっけ?と気づけば号泣していた。

現実においてアンジェラ・アキの曲みたいなこと起こることあるんだ。

曲を聴き、心打たれ涙を流すのは5年振りくらいである。

そして負け組はもうこりごりらしい。

だけど勝とうともしてないよな、昔から。

今でもそれは変わっていない。

それなのに何かにずっと憧れている。

『普通』に憧れた学生生活。

結局高校生になってもクラスメイトと口を聞くことはほとんどなかったけれど。

今の私はもう少し人と話せているから安心してほしい。

カルパスは今でも好きである。

 

皆無・嫌われる勇気

 

久しぶりに口がパッサパサになるくらい緊張した。

あの空間の湿度は20%以下だったんじゃないかという具合に。

私はつくづく表向きの人間ではない。

肝が座っていない。

実は人前で歌っているのが信じられないほどのあがり症である。

昔から変わっていない。

堂々としたいという理想とこのナヨナヨしい現実のギャップは果たしてどう埋めればいいのか。

みんな"素のお前を見せればいいんだよ"と言うけれど、私の素というのは周りの人間が認めてくれて初めて曝け出せるものなのである。

少しでも冷めた目で見られようものなら、好かれもしない嫌われもしないただ当たり障りのない言葉を発するロボットへと姿を変える。

嫌われる勇気とは言うが、そんなものない。

よし!嫌われても気にしないでやるぞ!と思うこと自体がきっとストレスなのだと思う。

なんて弱い生物なんだ。

 

ムッキーちゃん

 

昔おじいちゃんの家にみかんの皮を剥くことができる道具が置いてあった。

先端に刃がついていて、そこにみかんを通すと薄皮だけが綺麗に剥がれる。

放課後はいつもおじいちゃんの家に行って、猫と戯れたり、絵を描いたり、ヨーグルトやみかんを食べたりしていた。

その日もいつものように遊びに行ってみかんを食べていたと思う。

あのみかんの皮を剥く道具はムッキーちゃんという名前らしい。

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まだ幼かった私は生まれて初めてそのムッキーちゃんで指を切った。

痛かったのか悲しかったのか、その瞬間私は泣いてしまった。

 

理由はわからないけれど、この出来事はふとした瞬間に思い出す記憶の一つである。

おじいちゃんは3年前に亡くなった。

もう4年ほど会っていなかった中での訃報。

久しぶりに会った姿は痩せこけていて、頭を撫でたら冷たかった。

姿形がなくなるところを見たくなくて火葬には行かなかった。

 

最後に生きて会ったのは2017年頃。

それも会うのは4年振り。

私の姿を見た瞬間おじいちゃんは泣いてしまった。

久しぶりに会えて嬉しかったのだろうか。

今はみかんを食べる機会がほとんどない。

自分で買うにしてもあの薄皮の部分が好きじゃない。

だけどムッキーちゃんがあれば気兼ねなく買えるかもと少し思った。

 

寝落ち

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バッド入る

 

人生を折れ線グラフにして、沈んでいた時期はどこだろうと考えた時に、皆様は何歳の頃が谷になっているでしょうか。

自分は14歳と19歳の頃が分かりやすく谷だったような気がする。0-10歳はずっと底だったため谷とかではないので省きます。

14歳の頃はわざと遅刻してみたり、鎌倉遠足をサボったり、何がそんなに嫌だったのか思い出せないけれど、なんとなく病んでいた記憶がある。単純にアホだったし思い返せば厨二病みたいなものだったから、ある意味純粋な人間ではあった。

19歳の頃はずっと死にたいと思っていた。小中高とずっと友達は少なかったし、クラスメイトと口を聞くこともほとんどなかった。それなりに生きづらい学生生活を送っていたけれど特に不登校になったりはしなかった。そういう面で自分は強い人間だった。だけど本当に生きていたくなかった。一度死にたいと思ってしまうと、これまでそんなこと思わずに過ごせていた自分を思い出せなくなって、元の状態に戻れなくなる。今まで夢中になっていた趣味も映画もドラマも本も音楽も、すべて興味がなくなった。いまだにその感覚を引きずっているのか、音楽を聴いたり映画を見たりするまでにとても時間がかかる。気合いを入れないと作品に触れられないのだ。わかりやすく何かに夢中になることはなくなった。だから「好きなものなんですか?」「趣味はなんですか?」といった質問にいつも答えられない。

しばらく鬱々とした日々を過ごしていたけれど、気づいた頃にはあまり死にたいと思わなくなっていた。学生でなくなったのも大きいかもしれない。学校って今思い返してみても変な場所だったと思う。年齢が同じというだけで学年ごとに一括りにされ、性別も性格も見た目も能力も全く違う人たちと毎日会うことになる。生まれたタイミングはほぼ一緒なのに、みんな自分よりキラキラしているなって比べている自分が嫌だった。そのせいか同い年の人と話すといまだに緊張してしまう。

今の自分はだいぶ人と話せるようになったなと、過去の自分と比べた時に思うけれど、昔から人と話すのが得意な人もいるわけで、そういう人たちと比べるとやはり、自分は何も変われていないのだと思い知らされる。根本的な部分が変わっていない。そんな人間が誰かと関わる意味ってあるのだろうかと、午前3時、思ってしまうわけです。

誰かと関わっていたい反面、誰かと関わるのがつらい自分もいて、そのギャップに日々悩まされる。一人部屋にこもり誰とも関わらなくていい安心安全なあの時間は全く苦痛ではない。しかし家にいても誰かしらからメッセージは送られてくる。なんて返そうと考えているあの時間がつらい。家にいてもこんな思いをしなければならないのかと、みんな面倒なのは一緒だよって、そういうことを言ってるんじゃない。今ここにいる私の話だ。その人のことは嫌いじゃない、むしろ好き、好きなんだけど文字を入力するのが億劫でそっとスマホの画面を閉じてしまう。だから私は返信が遅い。今日だってもう何もしたくなくて、何も考えたくなくて、14時に起きたのにそこからまた寝た。また寝て23時に起きた。現実逃避。部屋の掃除もままならない。イエスもノーも言ってくれない人間は最低です。

気を抜くとほら、こうやってまたバッド入ってる。

 

心の温度

 

私は熱いことを言えない。

心の中には熱い想いがあるのに、いざ発言の場面が訪れると馬鹿にされるんではないかとか、真面目なことを言うのは恥ずかしいんじゃないか、という気持ちが勝って何も言えなくなってしまう。

そうしている内に自分は何も考えていない気がしてきて、自分の考えすらわからなくなる。

だから私は、周りの目を気にせず熱い気持ちを語れる人間を尊敬しているし、そういう人間を馬鹿にしたりはしない。

たまに馬鹿にする人がいるけれど、何にも熱くなれない自分を正当化しているだけなんだろうなと思う。

その度、自分はそっち側の人間ではないのだと少し安心する。

上手く言葉にはできないけれど、きっとやりたいことをやれているし、昔に比べたら言いたいことも言えるようになった。

恥ずかしくてできないことはまだたくさんあるけれど、自分で自分の可能性を狭めないよう、むしろできることを増やしたい。

地味にしぶとい人間、そう簡単に心の熱は冷めないのである。

 

ファミリー

 

私には二つ上のお兄ちゃんがいる。対等に話せていたのは恐らく10歳の頃が最後。小学3年生のお正月、私は家出をした。だからそれ以来ほとんど会っていないし、会っても人見知りをしてしまう。せっかく兄妹がいるのだからもっと助け合った方がいいと母は言う。いつからか誰にも頼らないで生きていきたいと思うようになった。

両親がいて、兄弟がいて、絵に描いたような幸せな家庭。なんてものはなく、常に家は荒れていた。私にとってはそれが当たり前だったし、今更自分を可哀想だとは思わないけれど、ふと思い出した時に、やっぱりちょっと可哀想だったかもと思う瞬間がある。それくらい寂しい思いをしていた時期があった。

環境を言い訳にはしたくないけれど、人格編成において環境はやはり大きな影響を与える。家族とコミュニケーションを取りながら暮らしてきた人は、やはり人間としてちゃんとしているように見えた。自分の中にある正しい人間像がそういう"真っ当な人生を歩んでいる人"になっていったせいか、自分は毎日間違いばかりをしているような気持ちになった。

友人の家族を見ていると、やはりみんな親から何かしら影響を受けているのがわかる。本人にそんなつもりはなくても、性格や喋り方、生き様がだいたい親と似ている。そういった意味では私のお兄ちゃんもしっかり親と似たような人生を歩んでいた。ヤンキーの子供はヤンキーに育ってしまう。途中で逃げ出した自分は、誰にも何にも染まらず、よくわからないままここまできてしまった。親の影響でハマった趣味や得た人生観は一つもない。当たり前のようにみんな家族と趣味を共有しているけれど、自分にはそれですら夢みたいな話に聞こえていた。

両親とたまに会う時がある。だけども10年弱しか一緒に暮らさなかったからか、2人とも私の幼少期の頃の話しかしない。小さかった頃の私しか知らないのだと思う。母は何かと思い出を美化して話す。熱心に子育てをしていた時の話をしてくるけれど、私にはその母の姿が記憶にない。どちらかというと、部屋に閉じこもってこちらに見向きもしなかった母の背中の方が印象に残っている。ここには書かないけれど、幼いにしてはショッキングな場面にばかり遭遇していた。どんなに小さくても、脳が発達していなくても、わかるものはわかる。楽しかった出来事はすぐに忘れてしまうけれど、辛かった出来事は大人になっても覚えている。父は昔の後悔をよく口にする。私が3歳くらいの頃両親が別居していた時期があった。父とは週一で会っていて、その帰り道車の中で私が泣きだすと、父も静かに泣いていたらしい。全く覚えていないけれど、なぜか悲しい気持ちになって俯きながら話を聞いた。

家族との時間を大切にとは言うけれど、すべて今更なような気がしている。両親は今からでも私との思い出を作っていきたいのだろうけど、私はもう成人しているし、親の思い通りにできる年齢ではない。子供と暮らせなかった親の後悔や葛藤はなんとなくわかるけれど、親と過ごさなかった十数年間がやはり大きくて、どこか他人事のように感じている自分がいた。

職場の人と一人暮らしは楽しいか否かの話になったとき、みんな口を揃えて寂しいと言った。私にはそれが理解できなかったけれど、これが私の生きてきた中で得た人生観の一つなのだと思う。生きやすさで言えば生きづらい人間に分類されるのだろうけど、自分のことはそんなに嫌いではない。変わった環境で育ったおかげで人と違う話ができるのはラッキーだ、くらいに思っている。どんなに酷い場面がフラッシュバックしても、みんなの話がわからなくても、なんとかここまで生きてきた。

しがみつくものがない人生は一周回って生きやすい。